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「八幡山一丁目便り」と題して、「そとでる」の各スタッフが
日常のなかで感じた様々な思いを綴っていきたいと思います。
記事の右下の緑字「八幡山一丁目便り」をクリックすると、
まとめ読みもできます。
では第5号をお届けします!
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<八幡山の想い出>
私は戦後間もないころ現在の八幡山1丁目の隣町(南烏山1丁目)に生まれた。
少年時代として記憶が残っているのは、
当時の京王線芦花公園駅と八幡山駅の間の南側一帯(八幡山1~3丁目)
は遥か見渡す田園地帯であった。
水田に小川が流れ込んでおり、エビガニ・どじょう・イナゴもたくさん採れた。
当時通っていた小学校には校舎が足らず、しばらくの間時差通学であった。
遅い時間の登校日には朝から田んぼを飛び回り、
学校に行くのをすっかり忘れてしまったことがある。
そのたびに母は血眼になって私を探したそうである。
現在この辺りは、環状八号線が通り大きな団地とたくさんの住宅があり、
当時の面影はほとんど消失している。
松沢病院と芦花公園の木立らが当時の貴重ななごりかもしれない。
八幡山2丁目辺りには戦時中、現・都立新宿高校のグラウンドがあり
グライダーが飛んでいたことなど知る人も少なくなっているのかもしれない。
江戸時代には彦根藩・井伊家の領地であり、
その御林地で炭焼きがさかんにおこなわれていたそうである。
さらに、おどろいたことには、古代には縄文人が住んでいたらしい
(八幡山2丁目辺りの烏山緑道にそのことが記してある)。
そんな想い出と歴史のある素晴らしい町、八幡山である。
さて、世田谷区福祉移動支援センター“そとでる”は八幡山1丁目八幡社のそばに位置する。
私は、今年3月世田谷区のホームページにアクセスした折、そのリンク先からこの組織を知ることとなる。
最近までの13年間母を介護した経験から、この組織の活動内容に非常に興味を持ち、
早速この4月より仲間入りをした。
日々勉強、福祉移動支援の仕事に悪戦苦闘しながらも、
楽しく一生懸命取り組んでいるところである。
記:HI
