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「八幡山一丁目便り」と題して、「そとでる」の各スタッフが
日常のなかで感じた様々な思いを綴っていきたいと思います。
記事の右下の緑字「八幡山一丁目便り」をクリックすると、
まとめ読みもできます。
では、前編に続き、第8号の後編をお届けします。
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「2013年、晩夏。はじめての仙台、石巻・後編」
仙台から高速バスに乗って1時間半弱。
JR石巻駅に到着した私たちは、迷うことなくタクシーに乗りこんだ。
行き先は石巻駅から徒歩30分、タクシーで10分程度の日和山公園。
標高56mの日和山にある公園から石巻の街を一望できることで知られている。
「どこから来たの?」という運転手さんの質問に答えると、「仙台も大変だったよね」。
仙台在住の友人と運転手さんのやりとりを耳に、「今日は、ひとりでも多くの方のお話を聴きたい」と思った。
 |  | 日和山公園内の 日和山神社 眼下には被災した地域が。 |
 |  | 中瀬 北上川の中州。 左上のたまご型の建物は、石ノ森萬画館。 2012年11月に再開した。 (写真左は、 2011年4月撮影。 スタッフ・鬼塚) |

日和山公園内にある茶屋
味噌こんにゃくをいただきながら、お話をうかがった。
もう何度も話しているだろう、あの日のこと。
私たちのコップに麦茶を注ぎながら、
茶屋の女主人が地震当日の話をしてくれた。
「3月11日……ちょうど仕事が終わって帰り支度をしていました。
激しい揺れが起きて、そのあと下(門脇地区)を見ると、真っ黒で。
黒いのは津波によってできた濁流と流された家や車でしょう。
流されてきた車のガソリンが引火したのか、
ガソリンスタンドが爆発したのか、爆発音が次々に聞こえました。
下はあっという間に真っ赤な火の海になった。“真っ黒”と“真っ赤”の順番ははっきり覚えていません。
警報音やスピーカーの声はたくさんの音や声で、ほとんど聞こえなかったです。
道路と公園は、避難してくる人々と車でいっぱいでした」
静かに話す女主人が最後におっしゃった「気をつけてね」のひとこと。
感謝しながら、私たちは津波の被害を受けた地区へと向かった。
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門脇小学校をめざして 津波から逃れた人たちが駆け上ってきた門脇小学校そばの坂道を下る。 道案内は公園で偶然出会った若い女性。「ありがとう」。 |
日和山公園から私たちを案内してくれた女性は、2011年3月、高校2年生だった。
今、ご家族は門脇町を離れてお隣の東松島市に暮らす。
彼女自身も神奈川県にある大学に通うためにひとり暮らしだという。
「地元の人間は話したがらない。いろいろな意見があるから」(タクシー運転手)という、
門脇小学校の保存(震災遺構)について、彼女は「あぶない」と反対だった。
「墓参りのために」久しぶりに故郷・門脇町へ戻った彼女。
母校のそばにある先祖の墓前で何を祈っただろう。
昼、私たちは再び石巻駅に戻り、駅に隣接した「駅」という店で昼をとることにした。
午後は「そとでる」のスタッフが紹介してくれた石巻在住の方が案内してくださることになっており、
やや緊張しながら待ち時間を楽しむ。
さて、無事にお会いできた強力なサポーター・伊藤寿朗さんは、石巻で生まれ育った紳士。
外資系企業に勤務ののち暮らした仙台から石巻へ戻ったのは、約10年前だという。
現在はNPO法人「まちの寄り合い所・うめばたけ」を主宰、
「高齢者・障がい者が互いに交流し、生活を楽しむ場を提供」するために活動している。
この日の午後は、日頃つながりながら石巻の復興のために活躍している方々をご紹介くださった。
年代や性別、地元出身かそうでないかなど関係ない自由さで互いの連携をつくりあげている“豊かな人たち”。
新鮮で刺激的だった。

多くの出会いをコーディネートしてくださった伊藤寿朗さん
(NPO法人 まちの寄り合い所・うめばたけ・代表理事)と、
東京から石巻に移り住み、復興活動をしている渡邊享子さん
(一般社団法人 石巻2.0/ISHINOMAKI2.0・理事)
以下(順不同)は、お会いできた皆さんが所属する団体の一覧である。
突然の訪問にもかかわらず、熱心に復興への想いを話してくださり、
「東京からやって来た」という、ただそれだけを喜んでくださった。
そのことがどこか申し訳なく、身にしみた。
皆さん、貴重なお時間をありがとうございました。
ここで訪問先のひとつ、「移動支援Rera」について触れさせていただきたい。
代表・村島弘子さんからいただいた名刺の裏には「被災し移動手段を持たない方の送迎を行っています」とある。
「車いすやストレッチャー対応の福祉車両およびセダン車両で、
国土交通省の認める『無償の範囲』として、送迎実費程度の協力費をお願いしている(名刺より)」NPOだが、
村島さんは非常に熱心かつ行動的な方で、世田谷の「そとでる」事務所を訪ねてくださったこともある。
この日も、事務所にお邪魔して7台の車両をどのように配車しているのか見たいと思っていた私に、
「そとでる」の業務内容を質問。
時間切れでじゅうぶんな返答ができないままにおいとまさせていただいたが、
・「Rera」のご利用者は1日100名にのぼること。
・その8割が60歳以上であり、通院目的が8割をしめること。
・毎朝メンバー全員でミーティングすること。
・みなし仮設(応急仮設住宅(プレハブ住宅)の不足等を補うために
民間の賃貸住宅を県が貸主から借り上げて応急仮設住宅として提供する)の送迎が増えていること。
…等を教えていただけた。
また、スタッフの方からは
「全員の研修や、これから出てくるだろうさまざまな問題を解決するための勉強」など、
今後の抱負もうかがうことができた。
被災地は今、特に大きな動きがない分、問題が見えづらくなっているという。
しかし、困っている方はおおぜいいらっしゃる。
「移動支援」という共通の使命のもと、今後も「そとでる」と情報交換などさせていただけたらと強く思う。
村島さん、植野さん、お忙しいなか、ありがとうございました。
そして、伊藤さん、石巻で復興のために毎日を大切に、
熱く生きる皆さんとの出会いをありがとうございました。
 |  | 配車依頼の電話は 途切れることがない NPO法人Rera 代表の村島さん(右)と スタッフ植野さん |
※
今まで私は、復興支援のためのサイトで「お取り寄せ」したり、
支援活動を行っている団体のニュースレター作りに関わる機会をいただいていた。
また私自身、がんサバイバーであることから、被災地のがんサバイバーにかつらを送る(贈る)活動もしていた。
けれど、実際に被災した方と目と目を合わせる機会はなかった。
東北へ行き、行く先々で食事をし、買い物をする。そんなささやかなことが大きな体験につながる。
今回私が訪ねたのは仙台と石巻だけだったが、
そこに暮らす人たちと関わらせていただき、聴き、話すことの意味を改めて考えた。
旅の途中、たびたび耳にした言葉に「忘れないでほしい」がある。
そして、どなたも「関心をもちつづけてください」と笑顔でおっしゃった。
私がどこか申し訳なく思ってしまったのは、
「こうして来るまでに2年以上かかってしまった」という想いからなのだろうか。
あれもこれも、この短い旅で抱いた心の揺れはすべてお会いして得た大切な感情だ。
2013年9月11日、新聞各紙は「東日本大震災後2年半」の特集を組んだ。
毎日新聞では42市町村の首長にアンケートをとり、その9割近い36人の首長が
「(震災の風化について)かなり/ある程度感じる」と答えたと言う。
「応援」。そして、「忘れない」。
あの「悲劇」を忘れないのは無論だが、いま現在の東北を、暮らす人たちを忘れないこと。
そのときどき、自分に可能なやり方で、この気持ちをずっとずっともちつづけていきたいと思う。
最後に。
2日間、自身も被災者で大変な経験をしながら、一緒に行動してくれた友人に。
心から「ありがとう。また会いましょう!」。
(前編・仙台訪問は2013年8月25日(日)、後編・石巻訪問は同年8月26日(月)です)(文・写真:石黒)