SPECIAL CONTENTS
「区長に聞く」
     


世田谷区長・保坂展人氏 インタビュー

そとでるのホームページの“SPECIAL CONTENTS”として、
2011年4月から世田谷区長としてご活躍の保坂展人区長をスタッフがお訪ねしました。
大変なお忙しさのなか、熱く、優しく、いのちについて、支援について語ってくださった保坂区長。
どうぞご覧ください。





保坂展人(ほさか・のぶと)

1955年11月生まれ。宮城県仙台市出身。
2011年4月27日より、第10代世田谷区長。
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出かけよう、支援しよう ― 
外に出て、ふれて、出会って、感じる日々を

事故で実感した“いのち”とたくさんのサポート
   


そとでる 本日はお忙しいなか、ありがとうございます。
 お話をうかがうにあたって、保坂区長のご著書を何冊か再読させていただきました。そのなかの一冊、『愛することと働くこと』(*)に印象深い文章を見つけました。
「車にはねられて交通事故に遭ったときに、本当に食べて、寝て、排せつするという三大テーマに直面」したという箇所です。
 当時、寝返りをうてない状態のなか、区長がどんなお気持ちでいらしたか、お聞かせいただけますか?

*『愛することと働くこと 学校・家族・仕事をめぐる対話』(保坂展人・三沢直子著 築地書館刊)


保坂 寝たきり状態になりましたからね。交通事故で背中を打って、絶対安静という状態が3週間ぐらい続きました。その後、足が動くようになるかわからないぐらいの重症でしたが、幸いにして後遺症もなく動けるようになりました。
 当時は“移動困難”という問題よりも、“いのち”の問題に直面したように思います。ほんのちょっとの打ちどころの違いで、「生死の間を渡った」という気持ちと、「なんとか生き残った」という感覚が大きかったです。移動困難の壁を感じたというよりは、初めて看護される経験や入院している状態が珍しかったのかもしれません。
 そして、入院中に大河内くんの事件が起きました。(*)
 マスコミから意見を求められて、寝たきりの状態でインタビューを受けたり、電話でコメントしました。
 その後、若干のリハビリで自立歩行ができるようになったので、テレビに出ることになったんです。寝台車というか、ワゴンを平たくして寝て、ストレッチャーのままで「クローズアップ現代」のNHKのスタジオに入りました。担当医師から「30分だけ出演もしていい」と言われていたので、本番だけ半身を起こして30分しゃべって、またストレッチャーに横になって……。
 コルセットをしていたので、うまくおじぎができなかったのを覚えていますが、たくさんの人の助けがなくては動けないという状態がよくわかりましたね。寝たきり状態であっても「出演していい」と言った医師や、手配をしてくれた人、その他いろいろな人たちのサポートがなければ、テレビ出演などできなかったわけです。
 おかげさまで、そういう状況だからこそというか、そこで発した言葉が大きな反響をいただくことになりました。そして、その反響が、後の世田谷区内の「いじめ問題での区民参加イベント」につながったという経緯があります。
*1994年11月27日、いじめが原因で、当時中学2年生(13歳)の大河内くんが自殺した事件。



区民の声を生かした移動支援対策をめざして

そとでる ところで区長のご家族やご友人・お知り合いの方に、福祉車両をご利用された方はいらっしゃいますか?
 

保坂 家族にはいませんが、移送サービスを始めた友人はいます。それから、介護士の資格を取ってタクシードライバーの訓練を受けたあと、福祉タクシーを開業した人の話を聞いたこともあります。また、お年寄りの気分が悪いというので、ご自宅がある8階まで肩を貸して、お送りして戻ったら駐車違反だった。駐車場の問題を含め、「なんとかならないのか?」という声を受けたこともありました。


そとでる そうでしたか。確かに、移動支援をしている運転手の皆さんはさまざまなご経験を経て、たくさんの気づきをお持ちだと思います。
 たとえば、3月11日の東日本大震災のあと、そとでるの登録事業者から、「(移動困難な方のお手伝いをするために)区が、“緊急時に必要な駐車スペース”を確保してくれないか?」とか「区が、“緊急時の福祉車両用のガソリン確保ルート”を作ってくれないか?」という声をいただいています。



保坂
 そうですね。災害時の問題というのは主に要保護に当てはまる方のことだと思いますが、身体障がいの方だったり、高齢者や寝たきりの方だったり、寝たきりでなくても歩行困難な方もいらっしゃると思います。
 そういうさまざまな方々の支援ということで考えると、地震などの災害が起きたとき、誰かが取り残されたとします。避難所や、病院、あるいは高齢者施設に移る必要が出てくるし、高齢者施設から高齢者施設へ移る場合もあるでしょう。そしてその移動は、おそらく救急車の使用だけでは足りない。そのような緊急時の細かなニーズが発生すると思います。
 現在、区内の地域ごとに「車座集会」といって、地域の声を集める集会を設けています。区民のご意見をうかがう貴重な場で、防災や相互に助け合う関係、体制を構築したいと思いますし、そういうなかに災害対策を築き、組み込んでいけたらいいのかなと思います。



話すこと・受け止めること

そとでる そとでるでは配車依頼・相談などに対する対応、登録事業者のサポート、人材育成などの業務を行っていますが、ご利用者さまからいただくご連絡は、主にメールやそとでるのホームページへのアクセス、電話によります。
 やはり多いのは電話ですが、私たちスタッフは、ご利用者さまから「配車」に関するご要望やご相談以外のお話をお聞かせいただくことがあります。たとえば「障がいって、どうしてあるんでしょうか?」とか、「このからだの状態をどうしたらいいんでしょうか?」といった「話したい」というお気持ちを感じる瞬間ですね。
 電話でのコミュニケーションのひろがりや役割について、「チャイルドライン」(*)を日本に導いたご経験から、区長の想いをお聞かせいただけると幸いです。
*イギリスで1986年に開設されたが、日本では1997年に世田谷で試験的に開設(その後、全国数か所に設置。特定非営利活動法人チャイルドライン支援センター、ほか)。18歳までの子どもが対象。保坂区長は日本に初めてチャイルドラインを紹介した(チャイルドライン設立推進議員連盟・事務局長)。

 
保坂 電話というのは、実際に会って話すより、どうしても距離が遠いですよね。近くで電話する場合もあるけれど、顔が見えない。けれども、だからこそ会話に集中できるんですね。要するに音声情報しかないので、その分、内容が濃いものになります。あと、実際に会って、「私、どうしたらいいんでしょうか?」というのはなかなか言えないけれども、電話であれば言えるというのはあるでしょう。
 電話によるコミュニケーションを考えると、将来どんなにテレビ電話が普及しても「音声だけでいい」という人がいると思うし、ニーズがけっこうあるのではないかと思います。



そとでる お話しされる方からすると、どういったお気持ちなのでしょうか?
 

保坂
 チャイルドラインでも、悩み相談や「生きていけないんじゃないか」という深刻な悩みは多かったようです。けれど、一番多いのは「ただいま」「いま帰ったよ」という電話なんですね。
チャイルドラインのスタッフが「誰かに話したい」という場合の「誰か」になっている。そのときに聞く側が、「お母さんが働いている間、誰もいなくてかわいそうね」というネガティブな考え方で接するのではなく、「ただいま」と言える場があることが大事なんですね。
 スタッフが「応援していますよ、またお電話くださいね」という気持ちで対することで、電話をかけてきた方が「また電話してもいいんだ」と思う。その “承認感”を得ることが、お電話する方にとっては大事なのではないでしょうか。
 チャイルドラインを始める当初から議論していたのは、努力型で勤勉なスタッフが自分の経験を絶対化してしまいがちなことです。
 たとえば「私の場合、リハビリで努力して歩けるようになった。あなたは大丈夫だよ」と言ったとします。
 でも、実際にはケガの状況や障がいの状況は個々に違うし、電話ですから何も見えていません。相手のことはわからないわけですから、なるべく断定的に言わないこと。「自分の場合、こうしました」と言うのはいいけれど、「あなたの場合はこうしなさい」という言い方をしないように気を配ると良いと思います。

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