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「ウィラブ世田谷 
 そとでるへの応援メッセージ

   

●木村 敬一氏 インタビュー

毎年、世田谷区にご縁の深い「SPECIAL」な方をお訪ねし、
「そとでる」へのメッセージをいただく「ウィラブ世田谷」の第6弾は、
パラリンピック水泳のエース、木村 敬一さんにご登場いただきました。



世田谷区桜上水にある学校法人日本大学文理学部は、「文」と「理」の融合を最大の特色としています。
お話をうかがった木村さんが卒業された教育学科は、教員養成を主たる目的とした学科で、科学的な知識や技術を備え、近年多様性が求められる教育現場へ、即戦力となるような人材を育成している学科として知られており、地元の人々から親しまれています。

賑やかな商店街や駅前市場などで知られる下高井戸の駅から歩いて8分の住宅街に、文理学部キャンパスがあります。
今も日々練習のためキャンパスに通う木村さんのパラリンピアンの輝きと飾りのない素顔、障害への想いなどをお話しいただきました。また、木村さんのパーソナルコーチとしてご指導されている日本大学文理学部体育学科教授・野口 智博さんのお話もうかがうことができました。



木村 敬一(きむら・けいいち)氏 プロフィール


1990年9月11日、滋賀県出身。リオデジャネイロパラリンピック競泳銀・銅メダリスト。
日本大学文理学部教育学科卒業。東京ガス所属。日本パラリンピアン協会理事。

2歳の時、増殖性硝子体網膜症により全盲となる。10歳から水泳を始めた。
2008年北京パラリンピックで5種目に出場。100m平泳ぎ、100m自由形で5位、100mバタフライで6位入賞。
2012年ロンドンパラリンピックで100m平泳ぎ銀メダル、100mバタフライ銀メダルを獲得。
2016年リオデジャネイロパラリンピックでは50m自由形銀メダル、100m平泳ぎ銅メダル、100mバタフライ銀メダル、100m自由形銅メダル、200m個人メドレー4位という素晴らしい結果を残し、多くの人々に感動を与えた。

また、Twitter、メディア出演等で知られるほか、小学校、特別支援学校などで積極的に子どもたちへの講演活動を行なっている。2016年毎日スポーツ人賞、第1回パラスポーツ大賞ほか多数受賞。


日本大学文理学部教育学科・公式サイト
 http://www.chs.nihon-u.ac.jp/edu_dpt/Top.html


 

木村敬一氏Twitter
  https://twitter.com/kimurakeiichi



今こそ ─ “泳ぐ!”ことで つなげていきたい


■「大丈夫ですか?」のひとこと


スタッフ(「そとでる」鬼塚・石黒) 本日はお忙しいなか、ありがとうございます。まず、リオデジャネイロパラリンピックでの大活躍、本当におめでとうございます。世田谷区にこのような素晴らしい方がいらっしゃることを誇らしく思いました。



木村 ありがとうございます。



スタッフ ここまでの道のりは凡人には想像もつかないご苦労かと思いますが、少しご記憶を巻き戻していただいて、木村さんが日本大学文理学部に入学された当時のことをうかがえますでしょうか?
木村さんは小学校から高校(筑波大学付属盲学校:現・筑波大学附属視覚特別支援学校)まで、寮にお住まいだったとうかがっております。
大学入学に伴って初めて「一人暮らし」となるわけですが、生活スタイルの変化はもとより、ご自宅から大学までの道のりなど、“はじめてづくし”だったのではないかと思います。具体的な“支援”はなにかありましたか?



木村 はい。高校を卒業して大学に進学する時ですが、住む場所や移動する場所が決まった時点で、高校の先生が“歩行訓練”という指導をしてくださるんです。その指導を入学前にしてくださいましたが、今は特にありません。



スタッフ
 実際に入学されてから、大学側の支援体制はいかがでしたか?



木村 他の大学は知らないですが、サポート体制はあったと思います。過去にも文理学部に視覚障害の方が入学されたということで受け入れ体制も整っていましたし、定期試験なども点字であったり、別室を用意してくださったり…、支援は進んでいたほうではないかと思います。



スタッフ
 ご学友の皆さんとのおつきあいはいかがでしたか? お会いして、とてもやわらかな印象の方と感じましたが、お友達の輪も自然に生まれていったのでしょうね。



木村 学生時代は、一緒に授業を受けている友達やサークルの仲間たちに助けられた4年間でした。すべて“支援”というような堅苦しいものではなく、自然なかたちでしたね。
僕はどちらかというとボーっとしているほうですから、あぶなっかしく見えて手を貸してくれたんでしょう。



スタッフ 今、ボーっとしている…とおっしゃいましたが、たとえば移動の際はささいな不注意が“危険”に直結してしまいますよね。
今日、大学にお邪魔するまでに下高井戸駅から商店街を歩いて来ましたが、信号がない、十字路がある、車や自転車の往来がけっこうある…など、少し想像するだけでも小さな“注意ポイント”がいくつかあるように思いました。



木村 はい。たしかに人にぶつかることはありましたね。あと、私鉄駅のホームから転落したことも2回ありました。



スタッフ こわい! 練習にしてもなんにしても、移動はつきものですから。転落したあと、駅員さんが助けてくれたのですか?



木村 いや、自分でホームに上がりました。僕は電車がホームに入ってくるまでの時間に上がることができたのでケガもなく、ダイヤも乱れませんでしたが、ときどき視覚障害の方が転落して大事故になるニュースを耳にしますよね。
まだまだ、ホームに柵(ホームドア)がない駅は多いですし、危ないと思います。同じ障害の仲間が被害にあうのは悲しいことですし、それは周囲にいる方が気をつかって声をかけるというよりも、駅の設備を整える方向が良いように思います。



スタッフ そうですね。設備整備と“人の手”の両面とも大切なのかもしれないですね…。
ところでうかがいたいのですが、駅などで視覚障害の方にお声をかけたい時にどのような言葉をかけるのが一番良いですか? 恥ずかしいですが、まずはそこから教えていただければ…。



木村 はい。よく聞かれるのですが、「大丈夫ですか?」が一番いいですね。基本的に僕たちは「大丈夫じゃない」んで。
先ほど、大学の友達の話をしましたが、僕が「大丈夫じゃなかった」から助けてくれたんだと思います。



スタッフ 「大丈夫じゃない」とハッキリおっしゃっていただいて、ありがたいです。目のお悪い方に声をかける時、チラッと「かえってご迷惑では?」なんて考えてしまうことこそ、恥ずかしいですね。
実は「そとでる」は、「おでかけサポーターズ」というボランティアグループの活動もしておりますが、移動に関してボランティアに「こういうふうに支えてほしい」とか、「こんなふうに声をかけてほしい」ということはありますか?



木村 もちろん、ひとりで行ける時は「自身で行けます」と言えるので大丈夫なんですが、言えない時もあります。僕たちは自分から助けてくださる方を見つけて声をかけることができないので、声をかけていただけると助かるんです。
「大丈夫ですか?」でも、「何か困っていることはありますか?」でもいいから、声をかけてほしいですね。そのとき、「大丈夫です」と言われてもお気を悪くなさらずに、もう一度気軽に声をかけてほしいと思います。



スタッフ とても初歩的なことですが、お声をかけて付き添う際、どんなふうにしたら良いですか?



木村 どこかに連れて行ってほしい時は、自然に肘をつかませてもらいますね。



スタッフ ありがとうございます。私たちはふだん、福祉車両をとりまとめさせていただいていることもあって、車での移動以外についてわからないことも多いです。ぜひ学ばせてください。


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