SPECIAL CONTENTS
「ウィラブ世田谷
そとでるへの応援メッセージ」
●仲代 達矢氏 インタビュー
毎年、世田谷区にご縁の深い「SPECIAL」な方をお訪ねし、
「そとでる」へのメッセージをいただく「ウィラブ世田谷」。
インタビュー第四弾は、日本が誇る名優・仲代 達矢さんにお話をうかがいました。
2014年12月13日、82歳の誕生日を迎えられた仲代さん。
役者として第一線にありながら、「一人芝居」など新たな挑戦をつづけていらっしゃいます。
「品格」と「重厚」。ますます輝きを増す仲代さんに、現在の想い、次世代への「夢」をお話しいただきました。
仲代 達矢(なかだい・たつや)氏 プロフィール

1932年、東京・目黒生まれ。
1952年、俳優座養成所に第四期生(同期に宇津井 健氏、佐藤 慶氏、中谷 一郎氏ほか)として入所、
1955年、俳優座に入団。その後、舞台、映像(映画・テレビ)の両分野でつねに活躍。
1959年、『人間の條件』(小林 正樹監督)で主役となり、
以降、黒澤 明監督、木下 恵介監督、成瀬 巳喜男監督など巨匠の作品に多数出演。
また、五社 英雄監督の作品の多くに出演していることでも知られる。
毎日映画コンクール男優主演賞、ブルーリボン賞主演男優賞、川喜多賞、朝日賞等々、輝かしい受賞歴を誇る。
1975年、世田谷区岡本に故 宮崎 恭子夫人(女優・脚本家・演出家)と俳優養成所「無名塾」を主宰。
役者志望の塾員・塾生の養成にあたっている。
また、『マクベス』『リチャード三世』など日本を代表するシェークスピア俳優として名高い。
1996年、紫綬褒章。2003年、勲四等旭日小綬章。2007年、文化功労者。2012年、世田谷区名誉区民、ほか。
主な著書に『遺し書き 仲代達矢自伝』(中公文庫)『未完。』(KADOKAWA/角川マガジンズ)ほか多数。
2014年、10年以上企画をあたためた一人芝居『バリモア』を上演、大きな反響を呼んだ。
情熱とともに。いま、「今日」を生きる
■「役者」として演じつづけた62年
スタッフ(「そとでる」吉田・石黒) 本日はお忙しいなか、ありがとうございます。
私ども「世田谷区福祉移動支援センター/そとでる」(運営事業者:特定非営利活動法人せたがや移動ケア)は「誰もが自由に外出し移動できる世田谷にするために」をモットーに、移動に困難を抱えていらっしゃる方々の「外に出る」お手伝いをしております。
現在、世田谷区民87万人のうち65歳以上の高齢者は20%をしめており、おひとりで外出するのが難しい方が増えています。また、車いすを使用されている方や障がいをもつお子さんの移動困難な状況も深刻です。
そこで私たちはご依頼に応じて、介護タクシー等を手配したり、移動に関するご相談を承らせていただきながら、外出・通院、通学、社会活動へのご参加などを支援しております。
仲代(仲代 達矢氏) 素晴らしいですね。車は一般の乗用車とは異なるのですか?
スタッフ 車いすごと乗車できる車両や、ストレッチャーごと乗車できる車両のほか、一般のタクシーと同じセダンもあります。運行しているのは「そとでる」に加盟している福祉限定タクシー、NPOなどです。
仲代 私は62歳のときに女房を亡くして以来、独居老人です。「そとでる」の活動をお聞きして、心強い支援だと思いました。
「役者」は、厳しい職業です。定年はありませんが、年金もない。役者として生きていくことができる確率は、ほんのわずかでしょう。その厳しさは、私も同じなのです。
プロ野球選手は「40歳になったら引退」とよく言いますが、役者は違います。「私は役者のプロです」ということはない。いくら演技がうまくても芽が出ない役者もいれば、昨日までモデルだったような役者が人気になる場合もあります。そんな厳しさをもつのが「芸能界」なんです。
スタッフ 「役者」の厳しさについてお話しいただきましたが、一人舞台として大きな話題となった『バリモア』を観にまいりました(東京・世田谷「シアタートラム」(2014年11月3日~16日)ほかで上演)。
拝見してその素晴らしさに感銘を受けるとともに、観ているお客様たちの姿に驚きました。
お芝居を観ながら上気し、高揚していく様子、演ずる仲代さんから“エネルギー”を受け取っているさまが伝わってきて、「仲代さんは、こんなにたくさんの人にエネルギーを発信するんだ。すごい!」と、しみじみ感じました。
と同時に、移動に困難をお持ちの方々に芝居や映画、コンサートなど、文化的なものにふれる機会をもっともっていただきたい。そのためにも「そとでる」を多くの方に知っていただかなければ……と、思いました。
仲代 ありがとうございます。一番前の席を“かぶりつき”と言うんですが、あるとき、かぶりつきで下を向いていらっしゃるお客様を見かけました。「寝ていらっしゃるのかな?」とよく見ると、盲導犬が横に座っている。その方は眼が見えない方だったんですね。また、私たちがどの劇場でやらせていただいても、必ず車いすでいらしている方をお見かけします。
われわれ役者は、眼の見えない方や足のお悪い方がわざわざ来てくださった姿を拝見して感動するんですが、実は役者はアスリートのようなところがあります。足腰が悪いと、舞台で演ずるのが難しいんですね。
「シアタートラム」は200席ぐらいなのでお客様とのやりとりを楽しめる広さですが、大きな劇場だと「顔」の演技だけでは成り立ちません。基本的に舞台は「顔」ではなく、「足腰」の強さが必要なのです。
映画だとカメラの「クローズアップ」によって、「顔」に近づいて撮ったりできます。歌舞伎だといわゆる「型」があって、それがクローズアップのかわりになりますが、私がやっているのは新劇です。舞台上で演じたものが一回一回、一日一日、花が散るように消えてしまう。そこが、「残る」という特徴をもつ映画との大きな違いですね。
役者は基本的に「肉体をさらしだす商売」です。そのような生活を62年間続けることができて、ありがたく思います。
■「思いやり」と「みつめる力」
スタッフ 2012年に世田谷区の名誉区民になられましたが、ご著書には少年時代の世田谷(瀬田、千歳烏山)の思い出や奥様とのエピソードをお書きになっています。
仲代 そうですね。世田谷に住むようになって50年、岡本で「無名塾」を始めて40年になります。まず土地を買い、その5年後に家を建て、稽古場をつくりました。2015年、「無名塾」は40周年を迎えることができましたが、時代は激変しました。
新劇のギャラは大変安いですが、日本映画のギャラも大変安く、それには映画とテレビの関係が大きくかかわっています。さらに現在は技術の大躍進によってコンピュータが大きな力をもつようになり、いまやメガネをかけると映像の鑑賞が可能(ウェアラブルコンピュータ:身につけて持ち歩くことができるコンピュータ)になるかもしれないそうです。
私自身は、次世代の演劇人・映画人に対しての想いがありますし、演劇や映画、テレビがなくなったらこの世の中はどうなるのか? と考えます。世の中から「うるおい」や、ものを見て感動することがなくなったら、すべてがそっけなくなるのではないでしょうか。今は「効率」の時代だと思いますし、文化や芸術は多少の退化をしていると思うけれど、最終的には「人間」が大事なんだと思います。
「そとでる」がやっていらっしゃることも、われわれ役者がやっていることも、最終的には「人間」ですよね。まず「人間」に対する思いやりがあって、「人間とは何か」を追求しています。
私は他者を見て「この人はどういう生き方をしているのか?」と“盗んで”、画面や舞台で演じます。つまり「芸」というのは、人間をみつめることが重要なんですね。
もうひとつ、新劇は「悪しき体制に対してどうするか」という姿勢から生まれた歴史をもっています。たとえば、かつて戦時下において、芝居に「自由」という言葉があると検閲官がカットしました。ですから軍国政治のもとでは「自由」という言葉を声に出せず、「息」で表現するだけでした。
もちろん、まず「エンターテインメント」でなければいけないですが、芝居の根底には人間の生きる問題・戦争の問題があります。
なぜ戦争が起きるのか、ご存じですか? 狩猟時代、狩猟民族に戦争はなかったそうです。農耕民族になって「ここは俺の土地だ」と言うようになってから、他の人や他国が攻め込んでくるようになったと聞いたことがありますが、黒澤 明監督は『乱』(1985年)という作品で親子喧嘩を描きました。人間に欲望があるかぎり争いはなくならない、ということですね。
僕は昭和20(1945)年に中学1年生でしたが、東京で爆撃をくらって、逃げて、歩いた経験があります。だから「戦争をしてはだめだ」「どんな理由があろうと戦争はいけない」という想いを強く抱いているのです。今も世界のどこかで戦争をしている人たちがいますが、だからこそ、最終的に「戦争をしてはいけない」と反戦を訴えていきたいと思っています。
もうひとつお伝えしたいのは、「若い」ということと年齢は関係ないということです。若くても年寄りのような人間がいるし、逆に年寄りでも若い人がいますね。
ですから僕は、過ぎ去った過去をひきずることはせず、未来も「わからない」から考えない。今日一日をどう生きるか。どう「夢」をもつかが大切なのだと思います。
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