「 いままでも、これからも。居心地の良い空間づくりを」
インタビュー7回目は、介護福祉士の経験をいかしてご活躍中の 福祉タクシー いるか雲・郡司 知幸さんに、お話をうかがいました。

<プロフィール>
郡司 知幸(ぐんじ・ともゆき)
略歴:
1993年 ヤマト運輸(株)入社。経理、お客様サービスセンター、国際関係の部署に勤務。2001年退社。
2001年 上智社会福祉専門学校入学。2004年卒業。
2004年 特定非営利活動法人 楽 ひつじ雲の起ち上げメンバーを経て、同年(株)ベネッセスタイルケア入社。
市川、三鷹などで有料老人ホームのホーム長を務める。
2013年 福祉タクシー いるか雲開業。
資格:介護福祉士。国土交通省関東運輸許可事業 関自旅二第2217号
趣味:スキー、テニス、ドライブ(奥多摩、羽田方面など)
信条:いつも笑顔で!
■「介護の入口」は祖母
― 現在、郡司さんはどの地区をメインに動いていらっしゃいますか?
以前働いていた職場が三鷹市だったこともあり、三鷹の有料老人ホームなどが多いですね。
― 有料老人ホームとおっしゃいましたが、郡司さんは前職が介護福祉士でいらっしゃったそうですね。
はい。2013年まで介護サービスの現場にいたので、多くのご利用者様とかかわり、さまざまなことを学ばせていただきました。
― 介護福祉士になられる前はどのようなご職業でしたか?
最初はヤマト運輸に勤めていました。地域密着の仕事をしたくて入社しましたが、なぜか国際関係の部署に配属されました。
8年ほど勤めてそろそろ管理職になる頃、祖母が寝たきりになったんです。介護のために母が祖母の家へ通いましたが、父と僕が交代で車を運転して送迎しました。それも介護のひとつのかたちだったと思いますが、祖母を大好きだった僕は「何もできない自分がいる」という想いを感じていました。それが「介護の入口」だったかもしれません。
― 介護を必要とされていたおばあさまや、介護していらっしゃるお母さまの様子を目の当たりにして、現在につながるのですね。
送迎をされていたとのことですが、仕事もお忙しかったのではないですか?
デスクワークでしたが、残業が多くて、朝早くから夜遅くまで働いていました。
― そのような日々をおくられるなか、介護についての勉強を始められた……。
介護について1年ぐらい調べたあと、資格を取るために介護の専門学校を受験することにしました。実は、家族や職場に黙って受験したんです。「たぶん落ちるだろう」と思っていたので、不合格の場合はそのまま働こうと考えました。
― 入学試験は、かなり難しかったのでしょうか?
倍率は2倍ぐらいだったと思います。上智大学の敷地内にある「上智社会福祉専門学校」を受験しましたが、幸い合格しました。
― 勉強の成果ですね。どのぐらいの期間、学ばれましたか?
4月に入学してから3年間、夜学に通いました。学校入学後の3か月間は会社と両立させていましたが、7月に正式に退社して学校一本にしぼりました。
― 「上智社会福祉専門学校」を選ばれた理由は?
学費が比較的リーズナブルだったこともありますが、そのとき僕は30歳だったんです。昼間の学校だと高校を卒業したばかりの方や若い人が中心なのでは? と考えて、夜間でさまざまな年代の方たちと学ぼうと思いました。想像どおり、同級生は高校を卒業したばかりの方から70代の方までいらっしゃいました。
― 授業の内容はどのようなものですか?
社会福祉論やコミュニケーション論、心理学、高齢者の医学やリハビリテーション……学校が上智系なので「キリスト教学」も学びました。また、現場での実習も受けました。
学校卒業と同時に介護福祉士の資格を取れるのですが、保育士科、社会福祉士科、介護福祉士科の各科に50人の生徒がいました。本当に色々な年代の方がいらして楽しかったですし、今も何人かのクラスメートとつながっているんですよ。純粋に学びの仲間ができたことが財産だと思います。
■ホームの出逢いで生まれた想い
― 良い友達を得て、介護福祉士の資格も取られて、いよいよ福祉の世界へ進まれることに?
在学中に学校の先生に誘われて、小規模多機能型施設の開所を手伝いました。川崎にある「ひつじ雲」という施設です。
― 「いるか雲」というお名前はそちらからでしょうか?
はい、「雲」のひと文字をいただきました。「いるか」というのは「いるかのように自由に動きまわれたら」という願いからつけましたが、この絵(ロゴ)は父が描いてくれたんですよ。
「ひつじ雲」さんは6月1日に開所予定だったので、起ち上げまで手伝ってから就職しました。
― かわいらしいイラストですね!
就職先はご自分で探されたのですか?
6、7、8月と就活中にベネッセスタイルケアが管理職を募集していることを知り、応募しました。
就職後の1年はホーム長補佐として働き、その後ホーム長に就きました。
― 実際に介護サービスの現場に入られていかがでしたか?
最初に勤めた千葉のホームは入居者48人に対して介護職が17、18人(3対1)でしたが、本当にさまざまな方がいらっしゃると思いました。それぞれにご事情があって、本当は家で暮らしたいけど暮らせない方がいらしたり、それぞれ「選択肢」の中から選びとって入居していらっしゃると知りました。
― 郡司さんが入居されている方と接するのは、一日のどんな時間でしたか?
ホームの一日は朝7時すぎに朝食で、あとは体操やお茶、そして昼食。決まったルールは食事時間ぐらいで、夜も眠くない方はテレビを観ていていいのです。ですからお元気に歩ける方は、僕の事務所にもいらっしゃいました。昼は皆さんとお話をするのがほとんどだったので、皆さんが就寝された夜に自分の仕事をしていました。
― 以前、「そとでる」の研修にご参加いただいた際、「ホームで人気者だった」とお聞きしました。
入居される方の7、8割は女性なのですが、とにかく男性職員が少ないのです(笑)。
― 郡司さんの優しい笑顔をご覧になりたかったのでしょうね。その後、千葉から三鷹に移られたんですね。
2008年4月から三鷹に勤務しましたが、当時の僕の仕事は老人ホームの運営管理、労務管理、入居者の生活全般でした。なかでもよく車の運転をしていて、主に病院への通院、同行を行っていました。
― もともと車の運転はお好きでしたか?
普通でしたが、「何か自分でやる仕事がしたい」と思って介護タクシーを意識するようになりました。
ホームでは看取りもしていたので、24時間の家族対応があったんです。「入居されている方が楽しい最期を迎えられるように」という想いでいましたし、亡くなるときもなるべく自分がかかわるようにしていました。けれど少しずつ、「長く続けられない」という感情をもつようになりました。
― 私には想像できないしんどさと思いますが、精神的におつらかったですか?
体力的にも、ですね。大きな会社でしたし、だんだん「自分がやらなくてもいいんじゃないか」「自分にしかできないことをしたい」という気持ちが強くなっていったように思います。
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