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鬼塚 正徳(おにづか・まさのり)

世田谷区福祉移動支援センター「そとでる」事務局長、「おでかけサポーターズ」(
*1)事務局、世田谷区青年学級「けやき学級」事務局、「東京・移動サービス交流会」事務局、「ハンディキャブを走らせる会」事務局
毛利 昌生(もうり・まさお)

「おでかけサポーターズ」メンバー、「そとでる 利用者調査プロジェクト」メンバー(*2)「ハンディキャブを走らせる会」運転協力

(*1)  おでかけサポーターズ:「そとでる」が2014年に立ち上げた移動をサポートするボランティア組織。
定期的な勉強会の開催ほか、「そとでる」日帰りツアーのサポート等で活動中。
(*2) そとでる 利用者調査プロジェクト:外出に困難を抱える方の実態調査。

写真:2015年5月31日(日)
せたがやまちづくりファンド助成事業公開審査会場にて
(左:毛利氏、右:鬼塚事務局長)


○今回はこれまでのスタッフ紹介とは異なるかたちで、お話をお聴きしたく思いました。
鬼塚さんは、会社員としてお勤めの頃からボランティア活動を始められたこともあって、世田谷区内の移動支援の歴史についてお詳しいらしいと聞いています。
毛利さんは、「ボランティア運転者講習会」(国土交通省認定自家用有償運送運転者講習会)の受講以降、「そとでる」が始めた「おでかけサポーターズ」メンバーのほか、「利用者調査」メンバーとしても的確なアドバイスや新鮮なご意見をくださっています。今日はよろしくお願いいたします。
さて、鬼塚さんは、特定非営利活動法人「ハンディキャブを走らせる会」でのご活動ほか、「くらしの足をみんなで考える全国フォーラム」等さまざまな活動をしていらっしゃいます。どのようなきっかけで移動支援にかかわるようになりましたか?


鬼塚
 1976年だったと思いますが、当時、私が勤めていた電機会社の独身寮が小田急線沿線の千歳船橋にありました。その頃、週休二日制が始まったのですが、「せっかくだから土日を使って社会のために何かがしたい」と思うようになりました。そして友人からの情報を得て、東京都のボランティアセンターに行ったら「梅ヶ丘に碓井さん(碓井 英一さん。現「ハンディキャブを走らせる会」理事長)という人がいるので、訪ねてみてください」と言われたんです。その碓井さんの依頼で、1977年から「世田谷区障がい者青年学級(けやき学級)」の送迎をするようになりました。



○最近はボランティア活動をしてみたいという方が年齢にかかわらず増えています。力まずに自然体でボランティア活動を始める方も多いと思いますが、当時の“ボランティア”は現在と違う感覚でしたか?


鬼塚
 今と違うというか、当時の社会状況がボランティア=「人助けをする」ということでした。
当時は障がいを持った人に対して、バリアーな物理的な面での問題に対して「なんとかしなくてはいけない」という想いと状況が満ち溢れていたんだと思います。私自身も碓井さんと知り合って、体験したり知識が増えていくなかで、その想いが強くなっていきました。もちろん、それは今も同じですが、碓井さんが光明養護学校(東京都立光明特別支援学校)の初めての高等部の卒業生で社会性の意識が高かったことから、私も含めて多くの人を巻き込む活動につながっていきました。
意識が高いというのは「社会全般を見渡して、きちんと論理立てる」という意味ですが、碓井さんや同じように意識の高い人たちが「なぜ、自分たちは電車に乗れないのだ?」→「一人で電車に乗せてほしい」→「そのためにきちんと整備してほしい」という運動を起こしたのです。
最初にその運動が起きたのは小田急線の梅ヶ丘駅と千歳船橋駅でしたが、梅ヶ丘駅の場合は目の前に光明養護学校があるから。千歳船橋駅の場合は「東京都用賀技能開発学院」という、主に脊髄損傷の方に印刷を教える施設があったからなんです。結局、その運動の結果、小田急線が梅ヶ丘駅と千歳船橋駅にスロープを設置したのですが、そのことを知ったこと、その場所にいるという実感は、大きかったですね。



○学生時代からボランティアをしていたのではなかったんですね。


鬼塚
 ボランティアというのは学生時代に聞いていたのですが、実際はどういうものかわかりませんでした。私の学生時代は学生運動が盛んでしたが、その人が年代や時代によって、どう過ごしたかはまったく違ってくると思います。毛利さんの頃はどうでしたか?


毛利
 僕の学生時代はそのあとですから、学生運動や、学校が荒れるということはなかったですね。当時は、僕自身もボランティア=奉仕のイメージであり、どちらかというとクラブ活動や趣味に走っていました。


鬼塚
 私たちの頃は議論することが多くて、
議論するなかで気づきや価値観が生まれていきました。その後、時代の変化にしたがって「優しさ」の意味も少し変わったように思うんです。「自分を大事にする」ことは大切だけど、「まわりとの関係性を意識すること」も大切だと思うし、「優しさ」はそこにあるのかもしれないな…と。その「関係性を意識する」ということは、次世代にも伝えていかなくてはいけないことだと思います。



○社会情勢の変化、世代による意識の変化を超えて「関係性を意識する」ことが、ボランティア精神とつながるのですね。「ボランティア」という言葉の定義も変化してきていますか?


鬼塚
 大きな変化のきっかけは「淡路・阪神大震災」(1995年1月17日)だったと思います。若い人たちが「自分にできること」をするようになったと思います。
私がボランティアを始めた1976年頃は「地域ボランティア」と「施設ボランティア」という言葉があったんです。障がいをもった人たちは施設にしかいないという時代です。そんな時代に「障がいをもちつつも、地域で生活する」碓井さんと出会ったんですから、ラッキーですよね。
1970年代、「まちづくり運動」という運動が始まりました。仙台の「ありのまま舎」(社会福祉法人ありのまま舎)の人たちが車いすで街に出るため、街中の歩道の段差をなくすことを訴えたのが象徴的だったと思います。その後、各地で運動が広がり、車いすの方々が街に出るための「福祉マップ」が作られるようになり、障がい者や共感する人たちの「街に出よう!」という声が大きくなっていきました。



○現在、「まちづくり」という言葉は誰にとってもなじみ深いものになっていますね。


鬼塚
 「誰もが安心して豊かに暮らせるまちをつくる」ですね。このようなキャッチコピーが当時の若者の心をつかんで今に至っているのだと思います。
碓井さんに出会った頃、「青年学級制度」というものがありました。地方から東京に“金の卵”としてやって来た若者たちの社会的、文化的な社会教育の施策でしたが、絵画教室やギター教室など多彩でした。私は当時20代でしたが、たくさんの若者が学級に集まってきて、その中に光明養護学校の卒業生の社会参加を進める「けやき学級」も入っていました。
この「けやき学級」は、社会教育分野の活動であって福祉ではなかったのです。このことは重要なんですね。
「教育ってなに?」という問いに対して、個人が自立する自分の世界を広げるために「かかわりをもっていくこと」「体験すること」がありますが、障がいをもっている人たちが「一方的にサービスを受ける」ということではないわけです。「かかわり」や「体験」には、「自主性」や「自己責任」も含まれている。そのような例を見てきたので、「サービスに頼りすぎる社会を作ったことで、いまの時代はおかしくなっていないかなぁ」と思うこともあるんです。



○「自主性」「自己責任」が大きなポイントなんですね。
毛利さんはなぜ、「運転者講習会」に参加されたんですか?


毛利
 講習を受けたのは2014年の11月でしたが、申し込みのために「そとでる」に電話をしたのが「そとでる」との出会いですね。「運転ボランティアを始めてみたい」と思ったのは、身内に障がい者がいるからです。サービスを受ける立場にいたので、「何かお返ししたい」と思ったんですね。
そのとき、講習会の講師として鬼塚さんがいらっしゃいました。インターネットで鬼塚さんのお名前を拝見したんですが、実にさまざまな活動をしていらっしゃる。その多彩なご活動に興味をもち、「鬼塚さんと話してみたい」という気持ちが生まれました。
現在は、「有償ボランティア運転」以外にも興味をもたせていただき、「おでかけサポーターズ」「くらしの足」などへの参加を通じて、たくさんの方と知り合わせていただいています。「けやき学級」にも参加していますが、楽しいし、勉強させていただいて本当にありがたいですね。
いま、別の施設でお手伝いする機会もあるのですが、移動支援を通じて認知症の方ご本人やご家族ともかかわらせていただいています。本当にさまざまなご家族があって、大変な想いをされている。それも一つひとつケースが異なっている。思うこともたくさんありますが、今までボランティア経験がほとんどなかったので衝撃を受けることも多々あります。
以前、友人から「東日本大震災(2011年3月11日)のあと、ボランティアに行ったけど、“ボランティアが来てくれること”に喜びを感じてくれる人たちがいるよ。だから行き続けているんだ」と聞いたことがありました。その言葉を思い出すこともありますね。



○自分たちの活動の意味をどのようにお考えですか?


鬼塚
 先ほどお話ししたように「社会を変えたい」という想いが根っこにあるし、「けやき学級」とかかわることで「どんな人も、すごい能力を持っている」と実感したのが影響あるかもしれませんね。
「けやき学級」は、どの人がリーダーをやっても魅力がある場になりました。それは根底に「全員で話し合って、責任を持つ面白さ」があるからだと思うんです。
そのことを前提に「そとでる」を「組織」という視点でとらえたとき、「そとでる」スタッフ全員が話し合って、責任を持つ面白さを感じながら働いていくことも大切ではないか…と思いますね。
2006年に「世田谷区福祉移動支援センター・そとでる」が創設されましたが(「そとでる」は世田谷区から補助金交付を受けて、2011年から「NPO法人せたがや移動ケア」運営)、毛利さんにかかわっていただいている「おでかけサポーターズ」のようなボランティアスタッフ、インターンシップなど、多様なかたちで「そとでる」にかかわる方が増えていくと良いと思っています。新しい方との出逢いを常に重ねていきたいですね。


○今、新しい方々との出逢いという話がありましたが、「せたがや移動ケア」「そとでる」の“これから”についてお聞かせください。


鬼塚
 「せたがや移動ケア」が、地域に対して何ができるか? 「そとでる」が、“おでかけ”というキーワードを考えたときに何ができるか? ということだと思います。
「この地域の移動困難をどうしたら良いか」を考えるために「そとでる」での業務があり、「おでかけサポーターズ」の活動があり、「利用者調査プロジェクト」があります。ですからニーズを掘り起こしていくことが大切ですし、そのニーズや「そとでる」の業務で感じた問題点をスタッフみなで共有し、さらに関係者に伝えていくことが「そとでる」の役割だと思います。


毛利
 「そとでる」に関しては、皆さんの業務を行っているときの連携やお互いを信頼しながらの働き方を見ていて「すごいなぁ」と感じています。あとは新しく「そとでる」にかかわってくる方についてOJTなどを取り込みながら、その方の個性をいかしていただけると良いのでは? と思いました。



○最後に、おふたりの「夢」「メッセージ」をお聞かせください。


鬼塚 「地域を良くする」ために、こんなふうにしたい、こういうふうにしたいと思ったときに、どうするか?私自身は、「けやき学級」での活動を続けてきたり、「そとでる」を今のようなかたちにするという経験をもつことができました。そのなかで色々な人にかかわっていただけましたが、「誰もが自由に外に出る」を実現することを、みんなで考えたいと思います、スタッフ、これから新しく「そとでる」や「おでかけサポーターズ」にかかわってくださる方が一緒に考えて、“地域を良くしたい”という気持ちをもってもらうことが大切です。
「夢」ということで、地域の中の「絆」や「まちづくり」を意識しつづけていきたいです。「困っている人に対して、どう手を貸すか」を考えたときに、制度(行政)、サービス(民間)、助け合い(ボランティア)をケースごとに選択しながら対応していく。そのときにさまざまな人がかかわりながら「そとでる」が“拠点”になっていけるよう、努力していきたいと思っています。


毛利 僕は移動支援にかかわるようになって、ふたつの世界を見てきたと思います。
ひとつは「そとでる」とのかかわりを通じて「おでかけサポーターズ」のような元気なボランティアスタッフの方々と出会えたこと。もうひとつは、先ほどお話ししたように大変な想いをしていらっしゃるご家族との出会いです。
その体験を、どうやって、“良くしたい”につなげていくか? どうやったら地域を暮らしやすくすることにつながるよう、いかせるのか? 僕は将来的には東京を離れて故郷の長崎に戻りたいと思っているんですが、どこに行ってもその“悩み”は続くかもしれないし、今はまだわかりません。
けれど、鬼塚さんやたくさんの方々と知り合って、色々な会議や場に出させていただいたことが大きな影響を与えてくれているのは確かなことです。先日、区外の社会福祉協議会との関係で重度の障がいをおもちの方の見守りを始めましたが、感じることがたくさんあるんですよ。車を運転したり、一緒にプールに行ったりして、話したり手伝いながら得る経験は大きい。「運転者講習会」を受けたことがきっかけになって得たこのような経験を、今後、どこでどのようにいかしていくかが僕の「夢」、「課題」と思っています。



○おふたりにお話をうかがって、知らないこと・大切なことをたくさん教えていただいた気がします。
また、これからの「そとでる」スタッフとしての在り方も確認できました。本日はありがとうございました。


(2015年夏/聞き手:スタッフ・泉谷、石黒 まとめ:石黒)