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2019/10/23

「世田谷区障害者福祉団体連絡協議会」の施設見学会参加報告

Tweet ThisSend to Facebook | by:サイト管理者
ボランティアグループ「おでかけサポーターズ」のメンバーから、「施設見学会」のご報告が届きました。
なかなか知る機会のない「福島県相馬市」の“いま”が伝わってきます。ぜひ、ご一読ください。

________________________________________

【寄稿】 「福島訪問記」

2019年9月1日(日) ~ 2日(月)、「世田谷区障害者福祉団体連絡協議会」が主催する施設見学会が行われた。見学の目的は、「福島県相馬市の被災地を訪問し、災害時の避難問題や災害復興の現状を視察する」というものである。

10団体から58名が参加、バス2台(内1台は車いすリフト付)に分乗して、福島に向かった。


●9月1日、9:00、世田谷区役所に集合、9:30出発。午後には大熊町・双葉町・浪江町を、国道6号線沿いに車中から視察。夜は、先の陛下も行幸されたという「ホテル飛天」での宿泊。

●9月2日、ホテルを9:30に出発。相馬市観光課職員のガイドで、市内各所を視察。昼には視察を終え、18:15に区役所へ帰る(大半をバス車中で過ごす)。

                      *

国道6号線沿いの大熊町・双葉町・浪江町は、放射能汚染の影響で避難解除されていない地域(帰還困難区域)のため、田畑は荒れ放題である。ソーラーパネルが設置されている田畑も多かった。また、宅地の入り口にはフェンスが張られ、立ち入り禁止が徹底されている様子がうかがえた。

災害から8年半経過し、手入れしていない(であろう)にも関わらず、建物がさほど傷んでいる様子がないことに驚いた。ただし、屋根やベランダなどから草が伸びているのは「さもありなん」であった。やはり人の手が入らないと荒廃が進む。


夕方は17時頃に「ホテル飛天」へ到着。客室で浴衣に着替えた後は、1階の回廊風の通路をぐるりと回って地下の大浴場で汗を流す。

18時頃からは1階の宴会場で夕食と懇親会。地元福島の酒と料理はとてもおいしく大満足であったが、おかずの種類と量の多さには大驚愕。酒のつまみとしては3回分ほどの量で、当然ちらし寿司は手つかずのまま。

ひととおり食と酒が進んだところで、全員がマイクを使って順次簡単に自己紹介をする。

そして19時過ぎ頃であろうか、メジャーデビューを目指す若手歌手「岩桐永幸」の独り舞台が始まった。

メジャー歌手の曲をメドレー編集したバックミュージックを流し、自作の曲を交えながら歌いつくす。非常に広い音域を持ち、女性歌手の歌まで披露し、当該歌手の真似なども交えて楽しませてくれた。

曲の合間の客への問いかけや、ステージを降りて一緒に歌うなど、エンターテイナーぶりを見せてくれた。最後には、メジャーデビュー後の値上がりを期待してCDを買ってしまった(はたして5年後には、いくらの値段が付くか…?)。

20時半頃であろうか、部屋へ戻ってから続きの会話を楽しみ、22時過ぎに就寝。

翌2日は、視察先をガイドしてくれる相馬市の職員の到着を待って9時半過ぎにホテルを出て、まずは漁港脇の旧即売所(船溜まり)を車内から視察する。

次いで、漁具倉庫周辺と漁業従事者が作業する仕訳所の通路を、車中からであるがぐるりと回る。作業者は若い人が多く、手を振って歓迎してくれた。

ここの建物もそうだが、すべて津波で流され再建されたものである。観光課の人から、「相馬市が城下町であることを意識して、和風の武家屋敷風の外観を取っています。個人用物件であっても、それ風に建てる場合は、市から補助金を支給しています」と説明を受けた。



次は、まだ更地のままになっている風景を窓外に眺めながら、慰霊碑・伝承鎮魂祈念館へ向かう。

慰霊碑には相馬市で亡くなった方々のお名前が地区別に刻印されているが、そこからは家と一緒に家族全てが流されたことがうかがえる。改めてお悔やみ申し上げたい。

津波は、南から・正面から・北からと、3度押し寄せた。亡くなった方には、第一波が引いた後に自宅へ物を持ちに帰って、次の波にもっていかれた方も多くいらっしゃるとのこと。「自己判断は絶対しないように」、市の職員さんは強調されていた。

そして、付近の海岸(大洲海岸?)を散策し、松川浦大橋を渡り、海岸沿いが立入禁止のため、ソーラーパネルが設置された一帯(地域では「メガソーラー」と呼んでいる)を左手に眺めながら、大型備蓄倉庫(兵糧蔵と呼ぶ)へ案内された。

そこには研修室があり、入り口の正面に殉死された7名の消防団員(消防署員ではない)の遺影が並べられていた。漁民への避難誘導の最中に流されたとのことである。
兵糧蔵は市内3か所に設置されているようで、この兵糧蔵には、対象地域住民の3日分の水と食料が保管されている。それ以外に、炊き出し用の巨釜、毛布やガスヒーターなども備蓄されている。

備蓄されている食料などは、協定を結んでいる自治体から要請があった際には「お互い様精神」で融通しているとのことであった。

蔵の管理をしている係員による、停電を想定して水圧を使った入口のシャッター開閉装置の説明の最中に正午を告げる音楽が流れ、蔵の視察は終了。市の職員ともお別れして次の地点へ。

昼食とお土産購入は、常磐道のSAとなる。SA内の売店では酒類販売がないため、常磐道入口手前のコンビニで必要な人は購入して、南相馬鹿島SAへ向かう。

せっかく購入した酒類も、少し消費しただけで帰宅の途に就く。月曜ということもあり常磐道はスーイスイ、首都高の降り口付近で合流渋滞があっただけで、ほぼ予定通りの時刻には出発地点である世田谷区役所へ到着・解散した(18:15頃であったと思う)。

2019年9月6日 文:多賀 正孝(「おでかけサポーターズ」メンバー)
(写真:スタッフ・鬼塚、まとめ:スタッフ・石黒)


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