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“外に出たい、動きたい”のお手伝い ― 
私だからできる“楽しみ方”と“サービス”の精神で!


インタビューの3回目は、女性ドライバーで、現役のプロボウラーでもある鈴木作依子さんにお話をうかがいます。





<プロフィール>
鈴木 作依子(すずき・さえこ)

1990年 (社)日本プロボウリング協会公認プロライセンス取得。
1996年 ホリデイインカップ優勝。
2000年 JPBA公認A級インストラクターライセンス取得(1期)。
2006年 ホームヘルパー2級および障害者(児)居宅介護2級取得。
2007年 普通自動車二種免許取得。ガイドヘルパー取得。プリンスカップ第3位。
2010年 ランサポート開業。
資格:  国土交通関東運輸局許可、国土交通関東運輸局認可、東京消防庁患者等搬送乗務員適任証、
          ホームヘルパー2級、ガイドヘルパー、障害者(児)居宅介護2級
          社団法人日本プロボウリング協会公認プロボウラー23期、A級インストラクター
所属:  ウィル介護タクシーグループ
仲間とのホームページ:
鈴木作依子P&加トPのHP
趣味: 温泉、露天風呂
信条: 御礼、感謝「ありがとう」




■“運命の出会い ― ボウリングとラン


 ― 鈴木さんの一日の始まりについてお聞かせください。

 少なくとも事務所を出発する2時間前に準備しています。9時のお客様がいらしたら6時に起きて、業務の支度とネコの世話をすることから始まりますね。
ネコは2匹飼っていますが、そのうちの1匹は、「ラーメン屋」の「ラ」と「ン」からつけた「ラン」という名前の三毛猫です。
“彼女”(写真上段・下段中央)は、「'05 群馬オープントーナメント」(桐生市)の帰り道に親友と寄った佐野ラーメン店の屋外で出会いましたが、器に鶏ガラと水があるだけでほったらかしにされていた800gの仔猫でした。



 ― キュン!としたんですね。鈴木さんに会えたランちゃんは幸せです。

 実は「ランサポート」の「ラン」は、この子の名前から取りました。ランサポートの“女社長”と言えるかもしれません。


 ― そうでしたか!(笑)
ところで、そのトーナメントはボウリングのことですね。鈴木さんは現役のプロボウラーとお聞きしましたが。

 プロテスト(社団法人日本プロボウリング協会公認)に受かったのは1990年です。ボウリング自体は親が好きでやっていたブームの頃に始めましたが、私は小学生でした。


 ― 中山律子さんなど、華やかなスター・プレイヤーたちがテレビに登場していた時代ですね。

 そう。小学校が終わるとランドセルを背負ったまま、親が行っていたボウリング場に“帰る”感じでした。夏休みになるとクーラーが家になかったので、ボウリング場内のレストランで宿題をしたり…レストランのお姉さんに勉強をみてもらった記憶があります。
小学校4、5年生くらいでジュニアクラブに入って、中学・高校と通いましたね。その後、就職、結婚と経験しましたが、その間はボウリングから離れていました。
20代後半に、母から「またリーグ戦に出ない?」と誘われ、再びボウリングを始めるようになり、ならば「子どもの頃夢見たプロボウラーになろう!」と。決意してからボウリング場で働き始めて、プロテストを受けることになりました。それはそれは、練習しまくりましたよ(笑)


 ― テストは難しいでしょう?

 まず一次試験を受けます。1日12ゲームを4日間投げるのですが、1ゲーム(1ゲームは10のフレームから成る)ごとにレーンをかえていくのです。4日間のうち、はじめの2日間でアベレージが170点いかないと落ちます(現在、女子の合格点は190点以上)。さらに4日間で最終的に180アベに到達すると合格となり、二次テストは東京と大阪で投げます。


 ― わざわざ違う場所でテストするのですね。どんな意味がありますか?

 まず東京で投げて、次に大阪。さらに大阪で投げたあと、東京に戻って投げます。違う雰囲気、違う場所で実力が出るかを見るわけですね。二次テスト合格後は筆記テスト、面接と続いてやっと合格になります。


 ― 超難関なのでは?

 実力のある人でも舞い上がって落ちたりしますね。逆に、投げているうちにタイミングが合ってきて、調子に乗ってうまくいく場合があります。「タイミングと運」が合否を左右する世界だと思います。

 ― ちなみに鈴木さんはどのぐらいの成績でしたか?

 20期を受けた時は2日目で落ち、21期は一次テストの4日目に、10ピンか20ピン足りなくて落ちています。
22期の一次は難なく合格しましたが、当時、プロアマトーナメントでベストアマ賞(参加アマの中で1位)になり、ご褒美でアメリカに行ける権利を得ていました。「どうしてもアメリカで投げてみたい!」という想いが通じ、プロ協会が「来年の二次テストから受験して良い」という特例を出してくださり、23期生の受験は二次テストから受けてトップ合格となりました。

 ― 「ここっ!」と思った時に、チャンスをつかむ力をお持ちなんですね。


■“祖母の介護を経て“変わっていった自分”
 

 ― プロボウラーの日常生活はどのような感じでしょう?

 私はトーナメントプロとして試合に出ることが主でした。試合に参加していない時は、勤務していたボウリング場でフロント業務です。14~15年、センターで営業と企画を担当し、お客様に楽しんでいただけるよう頑張っていました。大変だけどやりがいがあって楽しかったです。

 
 ― 「ランサポート」を始めるきっかけは?

 祖父が亡くなって祖母ひとりになった時、「孫と住みたい」と言われたんです。それで一緒に住み始めましたが、だんだん祖母が老いてきて…。病院に行く時、私の車に祖母を乗せると「痛い!」と訴えるんですが、「このぐらい、大丈夫!」と言ったりして…。
そのうち火をつけっぱなしにして寝たり、おもらしが始まるようになったので、私の頭に“介護”という言葉が実感として浮かぶようになりました。


 ― ボウリングをしながらバリバリ働いていらっしゃる時に、介護と向き合うようになったのですね。

 そのくせ介護のことはわからなくて、排泄物で床が汚れた時に新聞紙を敷いたりしていました。今思うと、すべって危ないですよね?
こわいことをしていたなぁと思います。
そのうちショートで施設に入るようになり、時が過ぎて入院となりました。


 ― いま、おばあさまは?

 亡くなりました。亡くなってから「本当にかわいそうなことをした」と散々、反省したのですが、その想いでさらに介護に目がいくようになったのはありますね。


 ― ボウリングを続けられるうえでも影響があったのでは? 

 はい。毎年11月に「宮様チャリティーボウリング大会」(主催:社団法人日本ボウリング場協会)が行われるのですが、私はそのお手伝いをしています。
大会は一般部門・障害者部門に分かれていて、アマチュア時代は一般部門でトップ争いをしていました。現在は、障がいをお持ちの方のお手伝いをしています。


 ― 具体的にどのようなお手伝いですか? 

 車いすの方や重度の障がい者の方が投げる時には、ボールを転がすための滑り台を使っていただいたり、目の不自由な方には後ろから残りピンの番号を言ったり。
杖を突いている方には持ち手付きのボールを投げていただいたりします。そのような手伝いを工夫しながらやっていくうちに、介護について「何が必要か、どう介助するか」を意識していきました。


 ― それがのちにヘルパーの資格取得などへつながったのですね。

 資格を取ったのは2006年ですが、祖母の介護やホームヘルパーの資格取得などを経て、「宮様チャリティー」でのお手伝いも変わったと感じます。
大会に参加する方々は、それぞれ“楽しむために”工夫なさっています。その様子を拝見しているだけで楽しいし、勉強になる。
私自身も、レセプションで障がいを持った方が登壇する際の階段を見て、「なぜスロープがないんだろう?」「私だったらこうやって介助したい」等々、考えるようになってきました。今は「障がいをお持ちの方のために行っている大会なのだから、介助する視点が必要ではないか」と言えるようになりました。


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