●野口 智博氏 インタビュー「2020年東京大会をめざして」

 野口 智博氏:元400m自由形の日本記録、アジア記録保持者。体育科学修士。2002年から古橋 廣之進名誉教授の後任として日本大学文理学部専任講師、現在は同大学文理学部体育学科教授、水泳部コーチングスタッフ。 2009年から木村選手をご指導。リオデジャネイロパラリンピック日本代表パーソナルコーチ。


スタッフ 野口先生と木村さんの出逢いは2009年ということですが、障害がある方へのご指導は木村さんが初めてですか?



野口 いや、その前にマスターズの練習会を運営していた関係で、片肘を欠損した人を指導していました。その方は練習できる環境がないということで一緒に混ざって練習しているうちに、アジアパラユースぐらいまでいきました。そのときは障害についてあまり考えないで、健常者と同じメニューをやらせていたと思います。もちろん、肘から先がないので腕の練習には気を配りましたが、当時気にしていたことは「できるだけ境目をもたないで接すること」でした。



スタッフ 先生にとって木村さんとの出逢いは特別でしたか。



野口 そうですね。日本では身近なところに障害がある人が暮らしていないというか、他国のように若くして戦争によって障害者になった方もいないし、どちらかというと高齢者になってからの障害が多いですよね。
木村のような“イキのいい”障害者は少ない。ですから先例がないことも含めて、木村の視覚情報をもたない状態をわれわれがきちんと認識できるようになったのはつい、ここ1、2年のことです。
うちのプールはかなり複雑な構造で、バリアフリーというよりはバリアしかないようなところですが、木村は初めて来て2、3日でひとりで来るようになりました。泳がせても、ゆっくり泳ぐ分にはひとりで泳いでいられる。
そういうことを見て、「何が我々と違うのか?」と思った。その違いを見出すのに時間がかかりました。
それで、実際に自分で目をつむって漢字を書いてみて「書けないもんだな」とか、ブラインドゴーグルという真っ黒なゴーグルを買って実際に泳いでみて、怖かったり。特にスタートの動作などは、視界がないと空中の姿勢の制御が難しいとわかりました。
そのようなことを重ねていくうちに、障害者目線というか、「自分が見えなかったらどうなるんだろう?」という目線に立つようになっていきました。水泳に限らず、一つひとつの動き、日常生活の中の動作が大変なんだ、と。



スタッフ 想像もつかない世界です。先生がそのようにされているのを見て、周りの学生さんたちも変化しましたか?



野口 いえ、われわれも、「視覚」の使い方についておぼろげながらわかってきたのがここ1、2年ですから。まだまだわからないことが多いので、学生たちは彼らの感じ方でいいと思っています。
ただ言えるのは、木村が挑戦しているのを見て、学生たちが励まされているということ。木村の周りにいる全員が、彼が見えないことを一切言い訳にしないでチャレンジしていく姿に、刺激を受けていますね!
僕らは何かにつけて、「こういう性格だから無理」、「こういう勉強はしたことがない」と言い訳したがるけれど、見えないことに比べたらたいがいのことは「やればいい」のです。



スタッフ まるで、彼を通して何かを問われているようですね。



野口 そう、まさにわれわれは毎日何かを問われているんですよ。「自分は何を“壁”にしていたのか」と。
逆に木村自身が目が見えないせいで、その“壁”があることに気づかないことも多いです。例えば、トップアスリートは先輩たちの行動を見ながら食事管理やからだづくりに取組みますが、彼には情報は入っても、行動は見えないので、そういうところはわれわれも伝えたり、具体的に専門スタッフに依頼して、データを取って説明したりしています。



スタッフ パラリンピック選手として出場するということは、相当なサポート体制が必要ということですね。



野口 健常者の人のサポートを10としたら、視覚障害者の人たちのサポートには17、18は必要です。
そして健常者の人の強化を10としたら、視覚障害者の方にはその3倍、30の手間が必要となります。それは現在進行形で増えている状態ですから、今後どんどん課題があがってきますね。ただ、やっていくうちに「次は何が来るのか?」という楽しみも出てきたり、その課題を一個一個クリアする楽しみもあります。



スタッフ サポートのご苦労と同時に、先生のやりがいのようなものを感じます。
最後に、先生の夢とメッセージをお聞かせください。



野口 現実的には、強化のことだけでなく、教育・研究も仕事としてありますので、毎日目の前のことで精いっぱいですし、年も年なので、特別な「夢」は特にないですね。まずはその年にやることや、例えば木村で言えば来年は世界選手権があるので、一個一個をそれらをクリアしていって、「その先に何があるか」を楽しみにしていきたいです。
また、2020東京オリンピック・パラリンピックまでに、スポーツに取り組んでいる障害者のなかでいろいろなことが起きるでしょうが、一般の障害者の方々にどんなことが起こってくるのか、われわれも想像がつかないです。
ただ健常者の立場で言うと、日本はもっともっと障害者と健常者が、お互いの立場を理解していかないといけない。リオデジャネイロで目の当たりにしたのですが、一般人が街中で自然に障害者に協力するマインドをもっていたんですよ。
では日本はどうでしょう? 電車の中に杖をついた方が乗ってきても、中学生が座ったままマンガを読んでいたりする。このようなところからなんとかしていかないと、2020年の東京オリンピック・パラリンピックで日本は恥ずかしい想いをします。リオでは大会開催時、満員バスにご高齢の方が乗車すると、みんながこぞって席を立って、「こちらへどうぞ!」ってなっていました。このような世界に東京も、日本もなってほしい。そうでないといけないという気持ちがあります。そのためにも、木村の活躍は大切ですし、われわれもさまざまな場でそのようなマインドを広めていきたいと思います。
彼が近くにいなければ考えもしなかったかもしれないこと、知らなかったことに触れることができたのは恵まれていたからですよね。感謝しつつ、知らなかったことや「違い」をどんどん発信していきたいです。



聴き手:「世田谷区福祉移動支援センター・そとでる」事務局長・鬼塚 正徳、スタッフ・石黒 眞貴子
(2016年12月)
文:石黒 眞貴子
撮影:梶山 淳子、石黒 眞貴子